和食はどうしてヘルシーになったの?
以前、縄文時代の人たちの食生活を調べてみて、とっても高たんぱくで多種多様な食事に驚きました。美味しそうで栄養価も高そうで。
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大昔の食生活を知ったあと、ふと、
「あれ?なんで和食ってヘルシーになったんだろう?」
「縄文時代の食事に比べたら、質素すぎない?」
「いつから和食の文化が始まったんだろう?」
という疑問がわいてきました。
さっそく、縄文時代より後の弥生時代~奈良時代までの食事の歴史を調べてみました。
参考図書 くもん出版 「歴史ごはん第1巻」
<弥生時代>
- 米づくりが盛んになった(縄文時代の終わりごろに渡来人により米が伝わる)
- 縄文時代よりも寒冷化したため、木の実や動物があまりとれなくなった(当時、北海道と沖縄には米が伝わらなかったので、縄文的な肉食文化が残った)
- 豆醤や、魚を発酵させてつくる醤油のような調味料が使われた(縄文時代は塩)
- 「ごはん+おかず」の食事スタイルが確立
- イノシシやシカなどの動物、魚を食べた(牛・馬は農作業に利用)
- 稲作以外にも畑作をおこなった(大麦・小麦・ウリ・ひょうたん・カブなど)
- 中国にならって政治体制が整うと(律令国家)、身分の差が生まれた。食事も身分によって、異なった
- 長屋王のような身分の高い権力者の食事は品数豊富。器も漆塗り、ガラス製、銀器などを使った
- 皇族や貴族は牛乳を薬として飲んだ
- 「氷室」が使われた(身分の高い権力者のみ)。氷室とは、冬の間に厚い氷を切りだして、その氷を保管した場所のこと。食料保存に使われた
- 中国文化にならい、正式な食事はテーブルとイスで行われ、スプーンと箸が使われた
- 砂糖の登場(それまではハチミツや、あまづら)
- 仏教が日本に伝わり、「無益な殺生を禁じる」という考えが伝わった
- 675年 天武天皇 肉食禁止令(一定期間)
- 745年 聖武天皇 3年間一切の動物を殺すことを禁じる法令
- 当初、僧侶や貴族だけが従っていたが、しだいに肉はけがれた食べ物として避ける風習が一般にも広がった
- 一日2食(身分にかかわらず)
- 肉食が禁じられたことで、魚や大豆をたんぱく源とした
- 肉のうまみに変わるものとして、魚や野菜から出汁をとるスタイルができた
- 庶民は、古墳時代と同じような土器(土師器・須恵器)や木製の器を使用
- 庶民は税(米)の取り立てが厳しく、米をつくっても自分たちは食べられない貧しい生活を送っていた(山上憶良「貧窮問答歌」)
ふ~む、なるほど~!!私たちの文化は、やはり仏教の影響が大きいんですね。
仏教での肉食禁止は四肢動物で、二本足の鶏は食べられていたそうです。
そして、なんと肉食の解禁は明治維新のころ。そんなにも長い間、肉食が禁じられていたということを、今回調べて、はじめて知りました。
肉食禁止のおかげで生まれたヘルシーな食文化、今や、世界でも日本食ブームが巻き起こっていますね。
しみじみ思うことは、同じ国に生まれても、時代によってこんなにも生活が違うということ。私たちの祖父母世代、親世代、自分たち、子世代で比較してみても、生活スタイルや食事、慣習はずいぶん変わってきていますものね。
ほんとうに歴史を知るのは、とても興味深いです!!恥ずかしながら、大人になって、はじめて歴史の奥深さ、おもしろさに気づきました~。子供たちにも、歴史を知るおもしろさを伝えていけたらと思います。